俵留番所は平時には川さげ米手形の点検をおこない、穀留が実施されると違反者の監視にあたった。このような俵留番所は、佐々木村、松崎村、笹淵新田、鳥原原村などの四カ所におかれたという。寛永一三年に沢梅藩の奉行大津右衛門が、領分の米を、通過させてくれるよう、鳥原村米留奉行あてに、たのんでいる事例がある。宝暦一三年には、俵留番所のたてかえがおこなわれたている。その入用金は、三三貫八五〇文で、領分中で負担した。天明三年には番所で必要な諸道具を購入した。藁、筵から、鍋、椀、柄杓、桶、鉢などにもおよんでいる。俵留番所で人手を必要とした場合は村々で分担した。その代償として、御番所引と称して、村は諸役のうち人足三人を免除されていたようである。